人々の関係性 / Relationships Among People
2001
作品は、単体として完結する対象ではなく、身体・他者・環境と連続し、時間とともに生成し続ける場である。人々の身体、ふるまい、そして同じ空間にいる他者の存在は、作品の外部ではなく、作品世界を成立させる要素となる。「Relationships Among People」は、作品と個人との一対一の関係を、作品と人々との関係へと拡張する概念である。
これまでのアートの多くにおいて、作品は個人との関係の上に成り立っていた。絵画は、鑑賞者の存在によって変化しない。隣にいる人のふるまいによっても変化しない。そのような関係の中では、同じ空間にいる他者は、視界を遮り、集中を妨げ、作品との関係に介入する存在として感じられることがある。
しかし、作品が鑑賞者の存在によって変化するとき、鑑賞者と作品との境界は曖昧になる。作品は、鑑賞者を含めてはじめて作品となる。そして同じように、他者の存在によって作品が変化するとき、他者もまた作品の一部になる。そのことは、作品と個人との関係を、作品と人々との関係へと変えていく。
他者が作品に介入しようとする意思があるかどうかは関係ない。他者の存在によって作品が変化し、その変化そのものが作品に内包されるとき、他者はもはや作品鑑賞を妨げる存在ではない。他者は、作品に新たな変化を生み、作品を豊かにする存在へと転換される。
問いは、「鑑賞者が作品に参加する」ことでも、鑑賞者が作品をどう操作するかでもない。作品が、人々の関係そのものをどう変えるか、である。作品と個人との関係は、作品と複数の人々との関係へと拡張される。鑑賞者は作品の外から見る者ではなく、自分の身体によって作品世界に関わり、同時に、他者の存在によって変化する作品世界を経験する。
このコンセプトは、作品の形式によって異なる広がりを持つ。
《花と人、コントロールできないけれども共に生きる》(2014-)では、このコンセプトは「超主観空間」と合わさって成立している。超主観空間によって、絵画世界と鑑賞者の身体がある空間は境界なく連続し、鑑賞者は絵画空間の中を歩きまわる。身体がそこにあるだけで作品は変容し、他者のふるまいが作品世界を変えていく。同じ絵は二度と現れない。絵画は、身体・他者・時間・環境とともに生成し続ける、生態系的な絵画空間へと拡張される。
《teamLabBall》(2009-)から《呼応する小宇宙》(2020-)へ続く「呼応する群体彫刻」では、このコンセプトはネットワーク的な存在へと拡張される。身体、他者、風雨、野生動物、隣接する彫刻、周辺の別作品が、人間と非人間の区別なく、同一の応答場に接続される。人間だけが作品を動かすのではない。人間と非人間がともに参与するこの生態系的な応答場において、彫刻の境界は、個々の物体の輪郭にはとどまらない。
アートの領域を超えて、このコンセプトは都市へと開かれている。
近代の都市において、他者の存在は、人にとってしばしば不快なものとして感じられてきた。理解できず、コントロールもできない他者が周囲にいることは、我慢して受け入れるものだった。都市が、自分や他者の存在によって変化せず、人々のふるまいを内包しない、固定された物体の集合として存在していたからである。
しかし、もし都市が人々の存在とふるまいによって変化するならば、他者の存在は都市を豊かにする可能性を持つ。アートにおける人々の関係性への問いは、都市のありようを考え直すきっかけとなるだろう。
FEATURED WORKS
teamLab, 2014, Interactive Digital Installation, Endless, Sound: Hideaki Takahashi
国東半島に生息している花々をモチーフにしており、一時間を通して、国東半島の一年間の花々が移り変わっていく。
花は生まれ、成長し、つぼみをつけ、花を咲かせ、やがて散り、枯れて、死んでいく。つまり、花は誕生と死滅を、永遠に繰り返し続ける。 花は、鑑賞者のふるまい(ある一定の距離間でじっとしている、もしくは、花に触ったり、踏みながら歩きまわること)によって、花は、より生まれいっせいに咲き渡ったたり、もしくは、いっせいに散り死んでいったりする。
作品は、コンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている。あらかじめ記録された映像を再生しているわけではない。全体として以前の状態が複製されることなく、人々のふるまいの影響を受けながら、永遠に変化し続ける。今この瞬間の絵は二度と見ることができない。
春、国東半島に訪れた際、山の中の桜やふもとの菜の花を見ているうちに、どこまでが人が植えたものなのか、どこまでが自生している花々なのか疑問に思った。そこは多くの花に溢れ、非常に心地よい場所だった。そして、その自然が、人の営みの影響を受けた生態系であることを感じさせる。どこまでが自然で、どこからが人為的なのか、境界が極めてあいまいなのだ。つまり、自然と人間は対立した概念ではなく、心地良い自然とは、人の営みも含んだ生態系なのであろう。そして、近代とは違った、自然に対して、人間が把握したり、コントロールしたりできないという前提の自然のルールに寄り添った人の長い営みこそが、この心地良い自然をつくったのではないだろうか。その谷間の人里には、以前の自然と人との関係が、ほのかに残っているように感じられ、コントロールできないという前提の下での、自然への人為とはどのようなものなのか、模索したいと思う。
世界はこんなにもやさしくうつくしい / What a Loving, and Beautiful World
Sisyu + teamLab, 2011-, Interactive Installation, Endless, Calligraphy: Sisyu, Sound: Hideaki Takahashi
文字は、それぞれ世界を持つ。人々が文字に触れると、その文字がもつ世界が現れ、それらは互いに影響し合い、1つの世界を創っていく。雨や雪や花は、風の影響を受けるし、鳥は木にとまり、蝶は花に近づいていく。
他の作品も、文字に触れると文字のもつ世界が現れる。人々によって生まれた世界が、他の人々や、他の作品によって生まれた世界と影響し合い、新たな絵を創っていく。
今この瞬間の絵は二度と見ることができない。
作品は、時には、はるか遠くまで広がっていく。
teamLab, 2018, Interactive Digital Installation, Sound: Hideaki Takahashi
背景では、桜が咲いては散り、生と死を繰り返す。
そして、人々と空間の接触部分から、一定のリズムと特定の間隔で放射状に広がるように円が生まれ大きくなっていく。生まれてくる円は、背景の世界の明暗だけを変える。
teamLab, 2014, Interactive Digital Installation + Light Sculpture, LED, Endless, H: 14700mm W: 17200mm D: 3840mm, Concept design, production and execution supervisor: DEM inc.
空から降った雨により滝が生まれ、流れ出た滝は川となり、大地では花が生まれ、咲き散っていく。花や木の周りに鳥が集まり、鳥たちは空へと飛び立っていき、空では雲が生まれ、流れていく。すべては連続し循環していくが、コンピュータプログラミングで描かれているため、二度と同じ状態にはならない。
本作品は、あらかじめ記録された映像を再生しているわけではなく、鑑賞者のふるまい、時間、季節や、気温、天候、会場であるCTBC Financial Parkのさまざまな状況などの外部データの影響を受けながら、永遠に変容し続ける。